『続岳物語』と本棚
寝る前に、『続岳物語』を読み返している。
高校時代に楽しく読んでいた。
今読んでも、とても面白い。

そして読んでいて、
「私はこういう人間が嫌いなんだ」
という自分の判断基準まで、逆照射されてきた感じがする。
たとえば、
- 人の話を聞かない
- 自分の都合を押し通す
- 相手の気持ちや事情を想像しない
- やたらと威圧する
- 変な上下関係を作る
- 自分は正しいと思っている
- 他人の自由を狭める
そういう雑な人間に対する椎名誠の視線が、感じられた。
そうなんだよ!と痛快だった。
私でなくとも、誰だってこんな人は嫌だと思うけど。
それなのに私は、こういう人と関わらざるを得ない状況にいつもいる。
7つ、フルコンプしてる人が、今も。
以前は、こういう感覚を言語化できなかった。
そして、岳って楽しい環境にいるなーとか、なんだか切ないなーなんて思っていた。
あの頃から40年近く経つ。
本棚には、たくさんの本を並べて生きてきた。
いつでも気分で選べるのがうれしかった。
結婚した相手は当時古書店の店長だったから、いつでも本の話ができた。
熊本の実家を長く離れている間のこと。
実家に置いていた本がほぼ全て、二束三文で手放されていたときにはショックを受けた。
『さくらの唄』は?岡崎京子は?
手塚治虫や国語辞典など、いつでも手に入れることができるものだけ残してあるー。
もー。
今では、それでいいのよ、と思えるけれど。
実家という巨大なブラックボックスに対する諦念。
『続岳物語』は、そんな中、くぐり抜けてきた1冊だ。
『岳物語』は、ない。

本棚は、子どもとも共用している。
が、私のものが多いので、すまないと思う。
棚に入る分だけを所有するというマイルールがある。
2016年の熊本地震後。
2度目の本震で1台が倒れてしまった。
家族ぐるみで親しくしていた古書店経営の知人が、地震後、陣中見舞いに来てくれたときに数百冊、その場の思いつきで引き取ってもらった。
その後、娘が家を離れるとき。
私の蔵書も含めて持ち出された。
そのため、棚に余裕ができた。
が、また埋まった。
乳がんの全摘手術のことを書いていたら、位置原光Z読みたーいと思った。
位置原光Z作品は、もともと娘のものだったため、我が家には1冊もなかった。
Amazonで注文した。
新刊で買える作品3冊を。

どこに収めればいいのか。
ちょこちょこと移動させて、場所を作った。
新陳代謝する本棚。
2000年代前半に住んでいた新宿区の一戸建ては、最高の造りだった。
1階に造りつけの棚がたくさんあり、飾り棚も。
2階には、廊下にぐるりと腰くらいの高さまでの棚が。
階段吹き抜けのエリアの活用である。

さらに、本棚も置いて、どれだけ買っても受け入れられる状態だった。
家の構造そのものが本を受け入れていた。
最高の造りであり、これまで住んだ中で最高の家賃でもあった。
さて、『続岳物語』を読んでいると、今私が息子との時間が皆無なのも、なるほどねーと。
わかってはいる。
自立に向かっているところ。
後ろにはおりますよ、という状態でいい。
けれど、読んでいて、少しさびしくなった。
以前は岳視点がメインだった。
そして、また、椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』から『新橋烏森口青春篇』などのシリーズを読み返したくなった。
読みやすくて、スイスイページがめくれていく。
これらはイギリス時代、日本人仲間にも回してみんなで夢中になった。
あの頃は、ジャパンセンターで日本の3倍もする価格で週刊文春やOliveを買って、飢えた日本語欲を満たしていた。
文春は、価格に対する活字量が多くてコスパが良かった。
カヌーにも乗りたいし、犬との生活も憧れるなー。

















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