我が家の本棚

今回は電子書籍について。

日本でKindleがリリースされると知ったとき、私は迷わずKindle Paperwhiteの予約ボタンを押しました。

本体が届く前に、すでに紙の単行本で全巻持っていた『蒼天航路』を、電子版でも全巻購入。
2012年当時の私は、「未来が来た!」という興奮の中にいました。

まだ手元にもない端末へ向けて、先にデータだけを買って待っている感覚。
今思うと、少しSFみたいです。

2012年12月に届いたKindle Paperwhite

そして12月、ついに到着。

あの重厚で熱い愛読書を、まるごとカバンに入れて持ち歩けるなんて。
それは震えるほどうれしい出来事でした。

何度も読み込んでいる漫画だったので、「あの場面をもう一度」と思えば、感覚ですぐに呼び出せる。
まるで記憶の延長みたいに読めたのです。

2012年12月に届いたKindle Paperwhiteにあらかじめ購入しておいた蒼天航路をダウンロード

ただ、当時のKindleはまだ容量が小さく、『蒼天航路』36巻すべてを入れておくことはできませんでした。

「漫画って、もの凄くデータ量が多いんだな」

そんなところで、急に“物質”を感じたのを覚えています。

……ちなみに、その時使っていたAmazonアカウントは、今はもう死んでいます。

つまり、全巻買った電子版『蒼天航路』も消えました(笑)。

未来みたいだった読書体験は、意外とあっけなく消滅する。
その一方で、紙の単行本は今も普通に本棚に残っているのだから、不思議なものです。

時は流れ、再建した胸のインプラントを摘出する手術が決まった頃。
私は再びKindle Paperwhiteを購入しました。
前向きな手術だったし、入院中は時間がたっぷりあります。

2025年に購入したKindle Paperwhite

退院後もその習慣は細く長く続き、たまにポチッと電子書籍を買っては読む生活になりました。

柚木麻子さんの『BUTTER』も、そうして読んだ一冊です。

気づけば深夜まで読み進めてしまうくらい、完全に物語に飲み込まれていました。
文句なしに面白かった。

柚木麻子「BUTTER」

けれど、しばらくしてから不思議な違和感に気づいたのです。

あんなに夢中で読んだはずなのに、具体的な場面を思い返そうとすると、どこか霧がかかったように曖昧。
文字を読むことに特化したPaperwhiteでさえ、私の目は少し“滑って”いたのかもしれません。

体感として、私の場合。
電子書籍を3周読んで、ようやく紙の本を1度読んだくらいの「残り方」になります。

本というのは、紙の手触りや、ページをめくる音、残りページの厚み。
そういう五感の記憶と一緒に、物語が身体へ着地していくものなのだと痛感しました。

そして、「これは何度も読み返す本になるな」という感覚は、案外、出会った瞬間からわかるものです。

そういう本は、最初から迷わず紙で買うべきなのだと思います。

本棚に並べ、背表紙が視界に入る場所へ置いておく。
それだけで、記憶は何度も呼び戻されるから。

とはいえ、電子書籍が「簡易版」なのかというと、決してそんなことはありません。

私のKindleライブラリを見返すと、紙の本とは違う、「電子だからちょうどいい距離感」で収まっている本も確かにあります。

たとえば、『みいちゃんと山田さん』のような、生々しい社会を描いた漫画。

スマホのKindleアプリ

作品として興味はある。
でも、本棚には並べたくない。

そういう本は、端末の奥底だけで完結してくれる電子書籍のほうが都合がいいのです。

デジタルとアナログ。

どちらが優れているかではなく、その本と自分がどういう距離感で付き合いたいか。
たぶん、そういう話なのだと思います。

ただ、ここで一つ大きな問題が。

ベッドの中で「あ、これ今すぐ読みたい!」と思った瞬間、指先ひとつで簡単に買えてしまうこと。

「これは紙で買うべきか、電子でいくべきか」

そのセンサーが働く前に、欲望のままポチッとしてしまう自分との戦いに、これからも負けないようにしないといけません(笑)。