
本文には入れなかった余談や、あとから思い出したことなど。
- alain mikli
- アンナ・カリーナ
- イギリスの新聞
- 糸電話みたいな気分
- Yves Saint Laurent《モンドリアン・ルック》
- 唄子・啓助のおもろい夫婦
- 神楽坂
- 髪の毛も一部ハイトーン
- キモい
- キングスロードのワールズエンドで買ったオーブのネックレスとピアス
- グリニッジ天文台
- COMME des GARÇONS
- 斉藤由貴
- 時刻表示がデジタルで、大きいこと
- 地主プレイ
- TM NETWORKのアルバム『CAROL』
- 店内には誰もいなくて
- 当時、その学科の競争率は7倍
- TOKIO KUMAGAI
- 戸山公園
- どんなにボロボロになっても、また次の駅へ
- ねじまき鳥クロニクル
- ピチカートって、キュートでポップで洗練されている一方で、どこかひねり、距離、アイロニー、悪趣味すれすれの遊びみたいなものに私は反応していました
- マルチーズ
- 無印良品の三軒茶屋店
- 娘がこのサイトを読んでくれていて、記事について話すことがある
- YAMAHAのシンセサイザーEOS
- 予測は不可能である
- ラーメン屋は激戦区
- ロンドン生活、窓辺
- ロンドンでピチカート・ファイヴを聴き始めた、1992年
- 私を目に入れても痛くない、熊本の祖母
alain mikli
アランミクリ。
たぶんOliveだったり、マガジンハウスの雑誌で知った、アヴァンギャルドなデザインが多いメガネブランド。
私はセカンドストリートで捨て値だったものを入手。
それからお世話になっている眼鏡店に持ち込み、調整してもらった。
アンナ・カリーナ
ゴダールのミューズ。
高校時代、ID JAPANという雑誌が創刊された。
創刊号の表紙はキョンキョン。
後ろの方に「オタクDJの逆襲」だったかな。
そんなコーナーがあった。
選曲した曲をカセットテープにまとめて投稿するページで、そこにクラスメイトのテープが一番大きく掲載された。
「アンナ・カリーナ、そうかいな」というキャッチコピーも彼女がつけていた。
私は、本人の姿や演技を見るより先に、このコピーでアンナ・カリーナの名前を知った。
イギリスの新聞
とっつきやすい。
ファッション、ゴシップ、環境問題、農業、工業。
日本の新聞よりも幅広い話題を提供している。
サイズもタブロイド版で広げやすい。
デザインもいい。
ただ、私が滞在していた頃は、1面はLady Di(レディ・ダイ=ダイアナ妃)のことばかりだったけれど。
糸電話みたいな気分
最近やってないなー。
ことさらしゃべる内容もないのに、クスクス笑いながらやり取りをする、糸電話。
往復書簡的なものだと、月刊カドカワで、村上龍と坂本龍一が互いに「Dear Ryu」とやっていたこと。
新潮だったかで、中村うさぎと、TV出演する前のマツコデラックスのやり取り。
そんなものを思い出す。
Yves Saint Laurent《モンドリアン・ルック》
小さい頃、お中元で我が家にやってきたライセンスものの、サンローランのモンドリアンバスタオル。
モンドリアンというドレスデザインや画家は知らなかったけれど、大のお気に入りだった。
あまり好きではない水泳の授業も、モンドリアンが待っていた。
その後、2001年に復刻ブライスドールが発売。
復刻ブライスの最初期2体がパルコリミテッドとモンドリアン。
我が家にはモンドリアンがいる。
唄子・啓助のおもろい夫婦
昭和40年代からバブルあたりまで、フジテレビ系列で放映していたTV番組。
『新婚さんいらっしゃい!』の熟年版、といったところ。
確か、高田馬場の天龍堂漢方薬局も提供だったような。
違うかもしれない。
この漢方薬局には、少しの期間お世話になった。
生薬を組み合わせて処方してくれる漢方薬局で、朝からマッドサイエンティストの如く、鍋でグツグツと煮出していた。
神楽坂
娘や息子を自転車の後ろに乗せて、新宿区内や秋葉原、外堀通りをブラブラするのが好きだった。
神楽坂だけは、電動アシスト自転車でも断念していた。
激坂って感じ。
せいぜい、豊島区高田のぞき坂単体で勘弁してください。
東西線に乗ると、飯田橋や九段下で降りることはあっても、神楽坂目的、ということが結局ないまま今に至る。
髪の毛も一部ハイトーン
サイドの白髪がすごいため、伸びてしまうと、清潔感がなくなる。
そのため、美容師さんに相談して、白髪ボカシにメッシュを入れていた。
現在の仕事では、それがシャレっ気に見えてしまうようで、自主的に直ちにストップ。
清潔感は?以前のようには、ないかもね(笑)。
キモい
まず、歌い方がベタベタしていると思った。
そして他にない、セリフ。
1番好きなのは『家庭教師』収録「ステップ UP↑」の“ベイベ、お前がいなけりゃ俺なんか紙クズだぜ”。
キングスロードのワールズエンドで買ったオーブのネックレスとピアス
ヴィヴィアン・ウエストウッドの聖地。
ここへフランス人男性2人と足を運んだ。
2人が、価格に「クレイジー!!!」と言って呆れた。
そんなこた、関係ないんだよ。
グリニッジ天文台
ホームステイしていたチャールトンから、通学の途中にあったグリニッジ。
これがあの標準子午線として、地図に縦線が引かれてるグリニッジですか!
毎日通りながら、感激していた。
世界最速だった船、カティ・サーク号や蚤の市もあり、こじんまりとしていながら見どころたくさん。
そして、ここには美味しいトライフルが食べられるお店もあった。
COMME des GARÇONS
中学生の頃、tricot COMME des GARÇONSを素敵だなと思った。
そのまま、まだ一度も着たことがない。
2020年、熊本市現代美術館にて。ドレス・コード? [着る人たちのゲーム]
斉藤由貴
20代前半、お付き合いしていた人に何の遠慮もなく、「お家に遊びに行きたい!すき焼き食べたい!」と言い、遊びに行った。
世田谷区の、なかなかのお家にお邪魔してしまった(笑)。
お母さんに「斉藤由貴に似てる」と言われた。
私は、魔性ではないけれど。
地主プレイ
2016年。
最初は、おそるおそるチェックインしていた。
GM、SM、BM(ゴールドマスター、シルバーマスター、ブロンズマスター)という駅スコアの高い御三方が各駅データで見ることができ、すごいなと思った。
自分もなれるかもしれないとやってみたら、できた。
そうなると欲が出て、複数駅の地主というものになりたくなったのだった。
地主を目指すということは、自分の時間をゲームに捧げることになる。
地主になっても、本来の意味である「賃料が発生し自分に入ってくる」ことはない。
2026年ver.の私は、冷静である。
TM NETWORKのアルバム『CAROL』
ヒプノシスマイク Fling Posseの「Stella」を聴いたとき、CAROLの世界観に感じた。
音が。
店内には誰もいなくて
エルメスジャポン株式会社は、1980年代初期に西武百貨店との折半出資で設立されたこともあって、どうしても西武のイメージがある。
今のようなバーキン争奪戦のための修行もなかったように思うけれど、私はそもそものジェーン・バーキンのようなバスケットにしか興味がなくて、定かではない。
だから、割と静かにお買い物ができたりもした。
当時、その学科の競争率は7倍
今の競争率を調べてみたら、2〜3倍だった。
また、当時1番人気だった映画学科は、40倍ほどだった。
すご。
改めて、氷河期世代って過酷だったんだな、と思う。
TOKIO KUMAGAI
爪先に狐があしらわれた靴を買うべきアイテム100の1つとして、雑誌で見かけたことがある。
まだ10代半ばの私が熊本PARCOのメンズフロアで買ったのは、時を忘れる時計。
イトキン傘下であったことは2026年になって知った。
戸山公園
熊本の祖母がやってきたときに、娘が案内して連れて行ったり、家族の中では大きな存在感のあった公園。
その2人で行ったときは、「ポケモン⭐︎サンデー」のロケをしていたそう。
他にも「鉄腕DASH!!」の企画でジャッキーチェンとTOKIOの缶蹴りが行われていたり。
大久保地区、箱根山地区と2つに分かれていて、とにかく好き。
どんなにボロボロになっても、また次の駅へ
駅メモ記事のこの1行を書きながら、蒼天航路 その三百四十五 方頤大口(ほういだいこう)、目に精光ありを思い出していた。
楽進が孫権軍の淩統に槍で体を突き抜かれ、それでも進軍する。
前へ!
たとえ一歩であれ
前へ!
列車旅はそこまで満身創痍ではない。
読み返していたら、胸が苦しくなった。
蒼天航路、たまらん。
ピチカートって、キュートでポップで洗練されている一方で、どこかひねり、距離、アイロニー、悪趣味すれすれの遊びみたいなものに私は反応していました
黒手塚好きなもので。
マルチーズ
小6の夏休みにやってきた。
1985年の夏は、つくば博に行ったり、刺激的だった。
愛犬との蜜月は、卒業アルバムにも綴られた。
修学旅行、運動会、部活動のことを書いているみんなの中に、私は犬のことをwww
無印良品の三軒茶屋店
高校時代からの友人が、三軒茶屋在住で、よく泊まりに行っていた。
なんと、人より数年遅れた受験中は1ヶ月も宿泊させてもらった。
感謝しかない。
「パーラーがあるんですよ」「そうなんですか」
そんな会話をして、1990年代半ばに、無印良品でお茶を飲むという珍しい体験もした。
娘がこのサイトを読んでくれていて、記事について話すことがある
東京の商業施設の記事が特に好きだと言ってくれた。
そして、熊本についてもいいけれど、それよりも東京を書いているほうがイキイキしているとも。
確かに言われてみれば、熊本で生まれ育ち、外で長く暮らして戻ってきた。
ふるさとでありながら、少し浮遊感がある。
東京のことを書いているときのほうが、むしろ自分の輪郭がはっきりするのかもしれない。
YAMAHAのシンセサイザーEOS
アンプもシーケンサーも内蔵していた、エントリーモデル。
電源を繋げれば、すぐに立ち上がる気軽さ。
私のEOSはB200。
150,000円前後だったと思う。
このEOSサウンドコンテストにて、小室哲哉さんと会って、握手して、Tシャツなどをいただき、浅倉大介賞をもらった。
ラーメン屋は激戦区
ラーメン屋が、選び放題。
移転も多い。
なくなったと思ったら、別のラーメン店がオープンする。
飽きない。
高田馬場を離れることになって、1ヶ月ほど前から、1日1食はラーメンを食べることにした。
むくみよりも、悔いのないラーメン生活を。
スープも完飲。
最終日。
引越し屋さんのトラックに荷が積まれ、家を出て、羽田空港へ向かう前に家族で立ち寄ったのは、つけ麺屋 やすべえ。
安定のおいしさだった…。
ロンドン生活、窓辺

チューリップは、花屋さんで買ってきたもの。
飲み終えたビール瓶を花瓶にした。
高校時代の友人が「ロンドンに連れて行ってほしい」と作ったテディベアも、一緒に飾る。
19歳の私は、今より洒落てる。
ロンドンでピチカート・ファイヴを聴き始めた、1992年
『SWEET PIZZICATO FIVE』をダビングしてくれたテープを、高校時代に音楽活動をしていた相方がスモールパケットで送ってくれた。
意図せず2人とも、長い期間、出かける前の準備のテーマソングは1曲目の「万事快調」だった。
私を目に入れても痛くない、熊本の祖母
私は祖母にとって初めての孫であり、同居もし、小5くらいまで一緒に寝ていた。
大好き。
先進的な人でもあり、さらに私が初めて出産をした時はまだ健在で「教育というのは、いろいろなものを見せること」と教えてくれた。
私はそれをしっかり守ったつもり…。











変わってないねw また、おとめ山公園に行きたいね