注|本文からこぼれた余談

本文からこぼれた余談

alain mikli

アランミクリ。
たぶんOliveだったり、マガジンハウスの雑誌で知った、アヴァンギャルドなデザインが多いメガネブランド。
私はセカンドストリートで捨て値だったものを入手。
それからお世話になっている眼鏡店に持ち込み、調整してもらった。

裸眼派ですが、メガネも好き。近眼と老眼のあいだで

アンナ・カリーナ

ゴダールのミューズ。
高校時代、ID JAPANという雑誌が創刊された。
創刊号の表紙はキョンキョン。
後ろの方に「オタクDJの逆襲」だったかな。
そんなコーナーがあった。
選曲した曲をカセットテープにまとめて投稿するページで、そこにクラスメイトのテープが一番大きく掲載された。
「アンナ・カリーナ、そうかいな」というキャッチコピーも彼女がつけていた。
私は、本人の姿や演技を見るより先に、このコピーでアンナ・カリーナの名前を知った。

野宮真貴「ベイビィ・ポータブル・ロック」|プロデュースはヒャダイン

イギリスの新聞

とっつきやすい。
ファッション、ゴシップ、環境問題、農業、工業。
日本の新聞よりも幅広い話題を提供している。
サイズもタブロイド版で広げやすい。
デザインもいい。
ただ、私が滞在していた頃は、1面はLady Di(レディ・ダイ=ダイアナ妃)のことばかりだったけれど。

ホストマザーが覚えてくれたヴィヴィアン・ウエストウッド

Yves Saint Laurent《モンドリアン・ルック》

小さい頃、お中元で我が家にやってきたライセンスものの、サンローランのモンドリアンバスタオル。
モンドリアンというデザインや画家は知らなかったけれど、大のお気に入りだった。
あまり好きではない水泳の授業もモンドリアンが待っていた。
その後、2001年に復刻ブライスドールが発売。
復刻ブライスの最初期2体がパルコリミテッドとモンドリアン。
我が家にはモンドリアンがいる。

2020年、熊本市現代美術館にて。ドレス・コード? [着る人たちのゲーム]

神楽坂

娘や息子を自転車の後ろに乗せて、新宿区内や秋葉原、外堀通りをブラブラするのが好きだった。
神楽坂だけは、電動アシスト自転車でも断念していた。
東西線に乗ると、飯田橋や九段下で降りることはあっても、神楽坂目的、ということが結局ないまま今に至る。

神楽坂 | 娘が暮らした街で、私も脳内散歩をしていた

髪の毛も一部ハイトーン

サイドの白髪がすごいため、伸びてしまうと、清潔感がなくなる。
そのため、美容師さんに相談して、メッシュを入れていた。
現在の仕事では、それがシャレっ気に見えてしまうようで、自主的に直ちにストップ。
清潔感は?以前のようには、ないかもね(笑)。

「同じレスポートサックの中でモードチェンジしてる。」

キングスロードのワールズエンドで買ったオーブのネックレスとピアス

ヴィヴィアン・ウエストウッドの聖地。
ここへフランス人男性2人と足を運んだ。
2人が、価格に「クレイジー!!!」と言って呆れた。
そんなこた、関係ないんだよ。

ホストマザーが覚えてくれたヴィヴィアン・ウエストウッド

COMME des GARÇONS

中学生の頃、tricot COMME des GARÇONSを素敵だなと思った。
そのまま、まだ一度も着たことがない。

2020年、熊本市現代美術館にて。ドレス・コード? [着る人たちのゲーム]

斉藤由貴

20代前半、お付き合いしていた人に何の遠慮もなく、「お家に遊びに行きたい!すき焼き食べたい!」と言い、遊びに行った。
世田谷区の、なかなかのお家にお邪魔してしまった(笑)。
お母さんに「斉藤由貴に似てる」と言われた。
私は、魔性ではないけれど。

「気温以上の体感温度に参り、内野聖陽の演技のギャップに大笑いした。」

TM NETWORKのアルバム『CAROL』

ヒプノシスマイク Fling Posseの「Stella」を聴いたとき、CAROLの世界観に感じた。
音が。

「気になる大人」だった小室哲哉が広げてくれた世界

TOKIO KUMAGAI

爪先に狐があしらわれた靴を買うべきアイテム100の1つとして、雑誌で見かけたことがある。
まだ10代半ばの私が熊本PARCOのメンズフロアで買ったのは、時を忘れる時計。
イトキン傘下であったことは2026年になって知った。

「気になる大人」だった小室哲哉が広げてくれた世界

どんなにボロボロになっても、また次の駅へ

駅メモ記事のこの1行を書きながら、蒼天航路 その三百四十五 方頤大口、目に精光ありを思い出していた。
楽進が孫権軍の淩統に槍で体を突き抜かれ、それでも進軍する。
前へ!
たとえ一歩であれ
前へ!

列車旅はそこまで満身創痍ではない。
読み返していたら、胸が苦しくなった。
蒼天航路、たまらん。

駅メモ!が記録してくれた、私の移動と記憶

YAMAHAのシンセサイザーEOS

アンプもシーケンサーも内蔵していた、エントリーモデル。
電源コードを繋げれば、すぐに立ち上がる気軽さ。
150,000円前後だったと思う。
このシンセサイザーの打ち込みコンテストにて、小室哲哉さんと会って、握手して、Tシャツなどをいただき、浅倉大介賞をもらった。

「気になる大人」だった小室哲哉が広げてくれた世界

ロンドンでピチカート・ファイヴを聴き始めた、1992年

『SWEET PIZZICATO FIVE』をダビングしてくれたテープを、高校時代に音楽活動をしていた相方がスモールパケットで送ってくれた。
意図せず2人とも、長い期間、出かける前の準備のテーマソングは1曲目の「万事快調」だった。

「ヒャダインと野宮真貴のカカカタ☆カタオモイ-F」|なぜか涙が出る