【乳がん治療まとめ】ステージ3Aからの歩みと暮らしの再起動ログ

乳がん治療まとめ

2018年、44歳のときに右乳がんステージ3Aと診断されました。
抗がん剤、手術、放射線治療。

その後、乳房再建。
そして、インプラント抜去という選択。

そのときの記録と、その後の暮らしをまとめています。
新しい記事が増えるたびに、このページも更新していきます。

上から順番に読むと、当時の流れがそのままわかるように並べています。

乳がんまとめ目次

乳がんに気づいてから診断まで

44歳の春、見逃しかけた“乳がんのサイン”に気づいた日|最初に感じた違和感とその後の行動

胸の異変に気づいた瞬間のこと。
それは、胸の一部がえくぼのように凹んでいたのです。

初診の乳腺科と、そのときの私の生活

初診で、複数の検査を受けました。
その当時、自営業の私は、子どもたちの生活はどうなるのか、ということばかり気にかかっていました。

2回目の乳腺科|診断確定、前のめりの私

やっぱり乳がんだったかーと驚きはありませんでした。
落ち着いて、できるだけシンプルな治療を受けたいと伝えました。

増殖する細胞と音楽。右乳がん Stage ⅢA、2018年5月の記録

腫瘍は5cmを超えていました。
診断名とその意味を改めて振り返ります。

これから治療がはじまるというときに、信頼した先生が転院した|乳腺科で感じた小さな違和感

担当医が変わり、はじめて治療への不安を感じたときのこと。
新たな担当の先生ご本人は優しく腕も良い方だったのですが、まるでベルトコンベアに乗ったような長い待ち時間と短い診察…。

治療のはじまり | 抗がん剤(化学療法)

振り返ると、私にとって一番きつかったのは抗がん剤治療でした。

がん治療と、「収入ゼロ」の現実。個人事業主だった私の場合

命より先に「これからどうやって暮らす?」が浮かびました。
なぜなら収入が激減したのです。

2018年6月、抗がん剤治療スタート。ドキドキの入院

はじまりは、小旅行のつもりでした。
しかし寝てやり過ごすしかない、無気力な状態になりました。

香りを愛した私が、匂いに怯える日々。2クール目の抗がん剤が教えてくれた「過敏な世界」

匂いが怖くなり、追い込まれていきました。
抗がん剤というものは、がんを徹底的にやっつけるだけでなく、気力すら失わせていくのでした。

抗がん剤脱毛の「想定外」は、抜け方そのものだった。えげつなかった

ハラリと始まり、束で落ちていく“抜け方”の記憶。
視覚的にもゾッとするものでした。

私にとって、乳がん治療の中で一番つらかったのは抗がん剤でした

心身ともに果ててしまった頃。
そのため、あまり記憶もありません。

手術

乳がんの全摘手術当日が誕生日だった私|家族それぞれの距離感と本音

手術前、家族の空気と妹への小さながっかり。
モヤモヤした気持ちで入院しました。

再建という選択

乳房二次再建の体験談|ティッシュエキスパンダーからインプラントまでの記録

実際に受けた乳房再建の経過。
私の場合は二次再建だったため、まずは皮膚を伸ばすことからスタートしました。

治療のあとに残ったこと

14kg増で下着まで全部買い替えた。体重計の数字が怖くなった

太ももやふくらはぎには、急激な体型変化による肉割れ(ストレッチマーク)までできるくらい、今まで見たことのない変化が起きました。

抗がん剤後の髪の変化。脱毛、ケモカールを経て7年後の今

治療前から現在までの髪の経過を写真とともに振り返ります。
なかなか、元の髪の毛の状態には戻りません。

右腕が思うように動かない現実と、むくみと付き合うという選択

脇のリンパ節切除によって変わった右腕との暮らし。
重だるいこともあったり、細い袖の服は着られなくなりました。

放射線治療の黒ずみから始まった、シナールとの付き合い

形成外科の先生の処方で飲みはじめました。
見えない部分の色素まで気にかけてくださったことが新鮮な驚きでした。

再起動のはじまり

大きな治療後の生活。名前のつかない時間を生きている

完治とも、治療の真っ只中とも違う状態。
いろいろなことを、改めて整理しようと思いました。

情報提供のみを目的としています。
医学的なアドバイスや診断については、専門家にご相談ください。