レコード屋へ行く。ブックレットを読む。帯のコピーに痺れる。全部が音楽だった
音楽はレコード、カセットテープ、CDと通過し、現在は配信でApple Musicも楽しんでいます。
最近のPCや車にはCDスロットが搭載されていないことも増えました。それでも私は、今もCDが大好きです。

新譜の発売日でなくても、「何か聴くものはないかな」と、小学生の頃からレコード屋へ通っていました。
琴線に触れるものが見つからない日には、店主のおじさんが無料のレコード新聞を渡してくれます。
帰宅すると、それを舐めるように読み込みました。
まだ日本の景気が良く、つくば博やおニャン子クラブで街が賑わっていた頃。
私はキョンキョンが大好きで、レコードジャケットを部屋に飾っていました。
初めて買ったCDも、小泉今日子の『Hippies』でした。

何度もブックレットを開いては、「このロゴは誰がデザインしたんだろう」「参加しているミュージシャンはどんな人だろう」と眺め続けました。
クレジットを読み、「Special Thanks」に並ぶ名前を見つめ、知らないミュージシャンやデザイナーを知る。
その名前を頼りに、また次の一枚を探しにレコード屋へ向かう。
配信では、楽曲情報を見ることはできます。
でも、「Special Thanks」のような欄は、ほとんどありません。
そして、やっぱり物が手元にあるということは大きい。
『Hippies』を見ると、中学2年生だった自分を思い出します。
ブックレットの紙の手触り、ケースについた小さな傷、帯の言葉。
そして、その一枚を聴いていた頃の自分まで、一緒に閉じ込めています。
Apple Musicの便利さは、私も毎日実感しています。
思い立った瞬間に世界中の音楽へ飛んでいけるのですから。
それでも、ときどき棚からCDを取り出したくなるのは、音楽そのものだけではなく、その周りに広がる物語や、その頃の自分に会いに行きたくなるからなのかもしれません。

















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