音楽はレコード、カセットテープ、CDと通過し、現在は配信でApple Musicも楽しんでいます。
最近のPCや車にはCDスロットが搭載されていないことも増えました。それでも私は、今もCDが大好きです。
新譜の発売日でなくても、「何か聴くものはないかな」と、小学生の頃からレコード屋へ通っていました。
琴線に触れるものが見つからない日には、店主のおじさんが無料のレコード新聞を渡してくれます。
帰宅すると、それを舐めるように読み込みました。
まだ日本の景気が良く、つくば博やおニャン子クラブで街が賑わっていた頃。
私はキョンキョンが大好きで、レコードジャケットを部屋に飾っていました。
初めて買ったCDも、小泉今日子の『Hippies』でした。

何度もブックレットを開いては、「このロゴは誰がデザインしたんだろう」「参加しているミュージシャンはどんな人だろう」と眺め続けました。
ジャケットはレコードより小さくなったけれど、そのぶん中に詰まった情報は濃くなったように感じます。
クレジットを読み、「Special Thanks」に並ぶ名前を見つめ、知らないミュージシャンやデザイナーを知る。
その名前を頼りに、また次の一枚を探しにレコード屋へ向かう。
CDは、音楽だけを収めたものではありませんでした。
一枚の作品の背景や、関わった人たちとのつながりまで閉じ込めた、小さな本のような存在でもあったのです。
配信では、楽曲情報を見ることはできます。
でも、「Special Thanks」のような欄は、ほとんどありません。
例えば、1996年発売のカジヒデキ『MUSCUT E.P.』。

当時よく聴いていたA.K.I.も参加していて、クレジットを見つけて「やっぱり!」と嬉しくなりました。
ブックレットには、カジヒデキと同じ格好をしたA.K.I.の姿もあって、「太いカジヒデキ?」と笑ってしまいます。

そして忘れられないのが、帯です。
当時のトラットリアの帯は、どれも秀逸でした。

「自分の名前のTシャツを作りたい!- カジヒデキ 『クワイ河のマーチ』をハミングしながら『明日に架ける橋』を渡るトラットリアのニュー・ヒーロー。膨らむ期待を背に受けて、カウント・ダウンが始まった!! 狂熱のパーティーの幕開けだ!! 胸キュン❤︎ネオ・アコ千両役者、『スカット行こうゼ!! カジヒデキ』の明日はどっちだ?! マスカット!!!」
今読んでも、思わず「くぅ〜!」となります。
CDには、音楽だけではなく、その時代ならではのデザインやコピーライティングまで詰め込まれていました。
そして、やっぱり物が手元にあるということは大きい。
『Hippies』を見ると、中学2年生だった自分を思い出します。
『MUSCUT E.P.』を見ると、豊島園に住んでいた頃の空気までよみがえります。
妹にもらった一枚でした。
大学へは行かなくなっていたものの、まだ働き始めてもいない頃。
将来への不安はどこかに抱えながらも、それを打ち消すように、仕送りを握りしめて友人たちと遊び回っていました。
CDは、音楽だけを保存しているわけではありません。

ブックレットの紙の手触り、ケースについた小さな傷、帯の言葉。
そして、その一枚を聴いていた頃の自分まで、一緒に閉じ込めています。
Apple Musicの便利さは、私も毎日実感しています。
思い立った瞬間に世界中の音楽へ飛んでいけるのですから。
それでも、ときどき棚からCDを取り出したくなるのは、音楽そのものだけではなく、その周りに広がる物語や、その頃の自分に会いに行きたくなるからなのかもしれません。






