swing out sister kaleidoscope world

音楽|「気になる大人」だった小室哲哉が広げてくれた世界

中学3年生から高校1年生くらいまで、毎月楽しみに買っていた音楽雑誌『PATi-PATi』。

きっかけは、放送部の先輩方が読んでいたことでした。
たまに貸してもらううちに、その世界に引き込まれていきました。

CBS・ソニー出版らしい、グラビア誌のような美しい写真。

アイドル雑誌のようでもあるけれど、『明星』より少し尖っていて、音楽そのものや、その先にあるカルチャーを感じさせる誌面でした。

1989年になると、小室哲哉さんが毎月掲載されるようになりました。

今振り返れば、あれは年末のソロデビューへ向けた見事なプロモーションでした。
もちろん、高校生だった私はそんなことは知る由もありません。

当時の私は、彼が広告に出ていたYAMAHAのシンセサイザーEOSを2台も買ってしまうほど、強く影響を受けていました。

ハードケースを開けると、そこにはあの頃と変わらない姿のシンセが

「ファン」という言葉は少し違います。
私にとって小室さんは、「気になる大人」でした。

どんな音楽を聴いているのだろう。

どんなCDを買うのだろう。

何を面白いと思っているのだろう。

インタビューは隅々まで読み、名前の挙がったアーティストを、頭の中に刻み込んでいました。

高校に入学して間もない頃、『PATi-PATi』に渋谷だったか六本木のWAVEでCDを選ぶ小室さんの記事が掲載されました。

その中で紹介されていたCDが、読者プレゼントになっていました。
フランス・ギャルと、スウィング・アウト・シスター

どちらもサイン入りです。
もちろん応募しました。

そして、当選したのです。

スウィング・アウト・シスターの『Kaleidoscope World』が。

swing out sister kaleidoscope world PatiPatiで当選した小室哲哉サイン入り

当時、日本の女性ボーカルは高く澄んだ声の人が多い印象でした。
ところが、コリーン・ドリューリーの歌声はまったく違いました。
落ち着いた低めの声で、肩の力が抜けていて、それでいて洗練されている。

後になって知りましたが、彼女の歌声は「オプティミスティック・アルトフルート」と評されているそうです。

高校1年生だった私には、とても大人の音楽に聴こえました。
ジャンルでいうと、ラウンジミュージック。
何度も何度も繰り返し聴きました。

そして30年以上経った今も、変わらず好きな一枚です。

swing out sister kaleidoscope world ディスクも綺麗

小室さんのインタビューを読み込んでいたおかげで、私の音楽の世界はどんどん広がっていきました。

フランス・ギャルもそう。
セルジュ・ゲンズブールを知ったのも、その延長線上でした。

影響を受けたのは、音楽だけではありません。
ファッションの世界もそうでした。
例えば、小室さんが身につけていたTOKIO KUMAGAIの腕時計。

当時の私には見たこともないような、シャープで少し未来的なデザインでした。

「こんな時計があるんだ。」

それだけで強く惹かれました。

当時はインターネットがありません。

「この時計は、どこのブランドなんだろう。」
雑誌に載る写真を何冊も見比べ、小さく写ったロゴやデザインを手がかりに、自分なりに検証していました。
今なら数秒で検索できることを、当時は雑誌のページをめくりながら推理していたのです。

そうしてたどり着いた答えが、TOKIO KUMAGAIでした。

熊本にもPARCOの中にTOKIO KUMAGAIのショップがありました。
でも、そこはメンズフロア。
高校生の私には、少し背伸びをしないと入れないような、大人の空間に思えました。
それでも、好奇心のほうが勝ちました。

思い切って店に入ると、ケースの中には、いくつかの腕時計が並んでいました。
そして、その中に、小室さんが身につけていたゴールドの時計を見つけました。

「本当にあった。」

そう思ったのを覚えています。

値札を見ると、60,000円ほど。
高校生には、とても簡単に手が届く金額ではありませんでした。
祖母にお願いして、その時計を買ってもらいました。

それから何年もの間、私はその時計を左手につけて過ごしました。

今思えば、時計そのものが欲しかったというより、その先にある世界に触れてみたかったのでしょう。

音楽も、ファッションも、デザインも。

そして、その年の冬。

小室哲哉さんはソロデビューを迎え、私はコンテストをきっかけに、実際に本人と会い、少し会話もすることになります。

その前年に発売されたTM NETWORKのアルバム『CAROL』、その頃、小室さんはロンドンを拠点に活動していました。
その姿に影響を受けた私は、「いつか自分もロンドンへ行ってみたい」と思うようになり、その後、実際にロンドンへの留学も経験します。

あの頃の私は、音楽を追いかけていたというより、その向こうにある世界を追いかけていたのかもしれません。

私にとって小室哲哉さんは、「この人みたいになりたい」という存在でも、「推し」という存在でもありませんでした。

どんな音楽を聴き、どんな服を選び、どんなデザインに惹かれ、どんな街で暮らしているのか。
「気になる大人」が見ている世界を、私も見てみたかった。

ただ、その時間は長く続いたわけではありません。
その後、電気グルーヴやフリッパーズギターなど、また別の音楽へと興味が広がっていきました。
そんな中で、新たに興味を持ったアーティストたちのインタビューにおいて、小室哲哉さんを少し茶化すような言葉を目にすることがありました。

「あれ? 私の審美眼って、おかしかったのかな。」

そんなふうに、自分がいいと思っていたものに、自信をなくしました。

でも今振り返ると、あの頃、小室さんを通して出会った音楽やファッション、海外への憧れまで、間違いだったわけではありません。

小室哲哉さんは、10代のど真ん中に現れた、巨大な入口でした。

たった1年ほどの出来事だったとしても、その時間が残したものは、とても大きなものでした。

あの頃の私は、これからの自分の好奇心が向かう場所を、すでに見つけ始めていたのだと思います。

当時、高校生だった私が夢中になった音楽活動についても書いています。

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