神楽坂|娘が暮らした街で、私も脳内散歩をしていた

娘が就職で東京に戻ったとき、住まいは神楽坂*注でした。

当時の職場は大手町。

娘の部屋

家賃が割高であっても、通勤時間は毎日の積み重ねだからこそ、暮らしの豊かさに直結するもの。

そう考える私。

神楽坂は石畳の路地や坂道、小さなお店が並んでいる、モダンで文化的な街。
そこは、かつて私たちが住んでいた高田馬場や早稲田からもほど近い場所です。
「私が住みたいくらいだな」と思えて、強く推しました。
そうして住まいが決定した後、何度も脳内で散歩を楽しんだのでした。

娘の暮らし

娘もまた、その街で少しずつ日常を築いていました。
通勤途中には顔なじみの人ができ、お気に入りのケーキ屋さんも見つけました。
庭先で花木を育てている家が多く、帰り道にふわりと漂う茉莉花の香りに、熊本の家を思い出すこともあったそうです。

そんな何気ない街角の写真が送られてきたり、その日の出来事を聞いたりする時間が、私にとっては何よりの楽しみでした。

そうして神楽坂は、娘が暮らした場所であると同時に、私の中でも少しずつ輪郭を持ち始めた街になっていきました。

娘の暮らし

ただ、その頃の娘は足を悪くしていました。
そのため風情ある坂の多い街並みは、毎日の暮らしの中では少し負担が大きかったようです。
残念ながら神楽坂での生活は長くは続きませんでした。
今は別の街で暮らしています。

それでも私にとって神楽坂は、娘が社会人として新しい一歩を踏み出した、特別な記憶が宿る街です。
ちなみに、高田馬場や早稲田に住んでいたうえ、東京メトロ東西線にも馴染みがあったにもかかわらず、私はまだ実際に神楽坂を歩いたことがありません(笑)。

娘は神楽坂を離れました。
それでも私のスマホのSafariには、神楽坂のページを開いたままのタブが、今もひとつ残っています。
まだ閉じる気になれない、大切な街だからです。

上京するとき、部屋の窓に合わせてオーダーしたマリメッコの「マーライスルース」のカーテン。
幼い頃には同じ柄のワンピースを着ていたこともあります。
その面影を残す写真を見るたび、小さかった娘と新しい暮らしを始めた娘の姿が、ひとつの記憶として重なります。

Maalaisruusu(田舎の薔薇)は、マリメッコのコレクションにフラワープリントがほとんどなかった時代に誕生しました。
Maija Isola は花のテーマに魅了され、Maija Isola は花のテーマに魅了され、様々な新たなフラワープリントを制作することになりました。
アイコニックなUnikkoは、Maalaisruusuと並んでその当時デザインされたプリントの 1 つでした。

Maalaisruusu (マーライスルース)1964年より

写真は、小さい頃の姿以外は、全て娘によるものです。

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