ロンドン留学中、1992年のことです。
ある日、キングスロードのワールズエンドで買ったオーブのネックレスとピアスを身につけていると、ホストマザーのマーガレットが尋ねました。
「それは何?」
私は、ヴィヴィアン・ウエストウッドというデザイナーのことや、オーブがブランドのシンボルであることを説明しました。
マーガレットは、それまでヴィヴィアン・ウエストウッドを知りませんでした。
でも、それ以来、新聞やテレビでその名前を見かけると気に留めてくれるようになったのです。
1992年10月19日。
リビングで過ごしていると、マーガレットが夕刊『Evening Standard』を手に、「ほら!」と声をかけてくれました。
開かれていたのは17面。

そこには、ヴィヴィアン・ウエストウッドのファッションショーにモデルとして出演したマリーナ・オギルビー・モワットの記事が掲載されていました。
ロイヤル・モデル
マリーナ、スターとして輝く ― ウエストウッドがパリを魅了
アレクサンドラ王女の反逆児である娘、マリーナ・オギルビー・モワットが、昨夜パリで、彼女らしい型破りなスタイルでキャットウォークデビューを飾った。
「あなたの好きなヴィヴィアンが載ってるわ。」
そんな気持ちだったのでしょう。
私は記事を読み、マーガレットと少し話をしました。
彼女が私の好きなものを覚えていてくれたことが、何よりもうれしかったのを覚えています。
同じ面には、ロンドンの大気汚染の記事も載っていました。
ロンドン市民はイギリスで最も汚れた空気を吸っている
ファッションと社会問題が同じ紙面に並ぶのも、新聞らしいところです。

そして、私はイギリスの新聞そのものも好きでした。
日本の新聞よりひと回りコンパクトなタブロイド判で、気軽に広げられます。
紙面にはファッションや暮らしの話題が自然に並び、社会問題も堅苦しさを感じさせません。
「新聞って、こんなに身近で、まるで雑誌みたいなんだ。」と感じました。
当時はまだ、その感覚をうまく言葉にはできませんでした。
けれど今振り返ると、私が惹かれていたのは、「読みやすい」「親しみやすい」「デザインがいい」「生活に寄り添っている」という新聞のあり方だったのだと思います。
「こういう新聞を読んでみたかった。」
そう感じたのを、今でも覚えています。
そして、新聞にはもう一つ楽しみがありました。
毎朝、ホロスコープを読むことです。
魚座のマーガレットと、射手座の私。
朝食のあと、それぞれの運勢を英語で読み上げるのが、いつしか私たちの日課になっていました。
30年以上経った今でも、1992年10月19日の『Evening Standard』17面だけが手元に残っています。
マーガレットが「ほら!」と差し出してくれた、その一枚だけです。
当時の私は、ヴィヴィアン・ウエストウッドの記事を記念に残したかったのでしょう。
けれど今、その紙を見ると思い出すのは記事の内容よりも、「あなたの好きなものだったでしょう?」と新聞を持ってきてくれたマーガレットのことです。
新聞は本来、翌日には古新聞になるもの。
それなのに、30年以上を旅してきました。
たった一枚の新聞には、その日のニュースだけでなく、人の優しさまで残せるのだと、この17面を見るたびに思います。






