東京の建物は、私の中ではかなり長いこと、2000年代初頭の印象で止まっている。
もちろん、その後も新しい建物はたくさんできているし、東京へ行けばいろいろ見ている。
それでも「これは今の東京だな」と思う建物は、案外少ない。
今のところ、最近の感覚として残っているのはGINZA SIXくらいだ。
そんなことを考えていたら、昔好きだった「買い物できる建物」をいろいろ思い出した。
私は、単純に品揃えのいい建物が好きだったわけではない。
その建物に入って、歩いているうちに予定していなかったものを見つけてしまう。
そういう建物が好きだった。
ラフォーレ原宿
東京都渋谷区神宮前。
ここは、おもちゃ箱。
店そのものも好きだったけれど、建物の中を歩くこと自体が楽しかった。
中2階があったり、程よいところに階段があったりする。
まっすぐ目的地へ向かうのではなく、少し上下しながら次の店を覗いていく。
動線そのものが、ワクワク感を高めるようにできている。
「このワンピース最高か」という発見が、次々に出てくる。
それなのに、疲れにくいの。
こういう建物が好きだった。
新宿ミロード
東京都新宿区西新宿。
ミロードも、ラフォーレ原宿と少し近いところがある。
「こんなにポップで、ちょっと壊れた感性のものがあるの?」
という魅力的なものが、たくさんあった。
駅からの裏道のようなモザイク通りも良かった。
大きな駅ビルなのに、正面から堂々と入って目的の店へ向かうだけではない。
少し横道へそれる。
その先に何かある。
そういう感覚があった。
西武池袋本店
東京都豊島区南池袋。

池袋西武は、私にとっては「生活インフラ」だった。
子どもの服、ランドセル、デスク、食料品など、必要なものを見に行く。
生活に必要なものを買う場所なのに、その中に「うお!」という発見があった。
コスメ売場もいつも力が入っていて、キラキラしていた。
生活の延長にありながら、ちゃんと気分を上げてくれる。
それが池袋西武だった。
そして、池袋西武からはそのまま横移動するようにPARCOへ行けた。
西武とPARCOを行ったり来たりする。
この二つが近くにあることで、池袋での買い物の世界がさらに広がっていた。
しかも私は、池袋PARCOで働いていたこともある。
客として歩き、働く側から見た場所。
伊勢丹新宿店
東京都新宿区新宿。
伊勢丹は、西武池袋本店とはまた違う。
コスメひとつ取っても、別方向から「こんなものがあるのか」という発見がある。
全体的に、少し背筋が伸びる。
ところが、靴のセールなどになると、結構しっちゃかめっちゃかなムードになる。
そこがまた面白い。
普段はちょっと近寄りがたい雰囲気があるのに、セールになると急に人間臭い。
そして、伊勢丹の建物が写っている写真を探してみたら、娘が中心に写っていた。
建物を撮ったつもりでも、結局、娘を撮っている。
東京の建物の記憶って、案外こういうものなのかもしれない。

ABAB
東京都台東区上野。
今はないABAB(アブアブ)。
実はほとんど入店したことがない。
私が行っていた頃はギャル服屋さんという印象が強く、渋谷109の東部版という感じだった。
でも、HMVで限定ものなどが残っていたことがあって、そういう意味では穴場だった。
目的地として通っていたわけではない。
御徒町やアメ横を歩き回った後の、残った余力で入館していた。
だからこそ、たまに覗くと何か拾える。
こういう「予定外の発見」が、昔の東京の買い物には結構あった気がする。
渋谷西武帝国
東京都渋谷区宇田川町。
百貨店は私の場合は池袋に任せて、こちらはPARCO、WAVE、LOFT、シネセゾンなどと一緒になって、文化で溢れていた。
東急Bunkamuraよりも、もっとサブカルチャー寄り。
パッと見て、
「なんだこれ」
と思ったところから、心の興奮度がどんどん上がっていく。
この火の付き方が、とても高かった。
店を見て、音楽を見て、映画を見て、雑貨を見て、また別のところへ行く。
そこで過ごす時間そのものが最高だった。
そして、あの坂道。
アーバンクライミング。
登山。
若い頃、8cmヒールで無理をしたこともあるwww
PARCO、WAVE、LOFT、シネセゾンと巡っていくのは、今思えばかなりの運動量だった。
今ではあちこちの商業施設で当たり前のように行われているポップアップショップが、昔の渋谷PARCOでは1階の、かなりいい場所に出ていた。
通りすがりに目に入る。
そこで、今まで知らなかったものに出会う。
そういう仕掛けがあった。
2023年の渋谷PARCO
2023年には、MOTHERのミュージアムを見るために渋谷PARCOへ行った。

久しぶりに入ったPARCOは、全体的には、私はあまり気分が上がらなかった。
昔のPARCO周辺に感じていた、パッと見た瞬間に心がざわついて、そのまま何かを探しに行きたくなるような感じとは、少し違っていた。
でも、MOTHERは良かった。
ここぞとMOTHER2のスカーフを首に巻いた娘と、出かけた。

建物全体にはそれほど心を動かされなくても、そこへ行った時間や、そこで出会ったものが良いことはある。
それもまた、買い物できる建物の記憶なのだと思う。
GINZA SIX
東京都中央区銀座。
普段の私には、あまり用のないラグジュアリーな建物だ。

入ったきっかけは、ゲランの旗艦店が帝国ホテルからGINZA SIXへ移ったからだった。
ゲランを見るために入った。
ところが、6階の銀座蔦屋がすごく見応えがあった。
ここは時間がいくらあっても足りない。
TASCHENのアートブックもたくさんあって、熊本にはないものを、オンラインではなく実物で手に取ることができる。
これは大きな魅力だと思う。
アートブックは、画面で見るのと実物を手に持つのとでは全然違う。
大きさも、重さも、紙も、印刷も、ページをめくる感覚も、その本そのものの存在感もある。
ゲランを見に来たはずなのに、結局、別のところで時間を使っている。
ちなみに、娘は春画の画集を買っていた。
そういうところは、昔好きだった東京の建物と、どこか共通しているのかもしれない。
私が好きだった「買い物できる建物」は、単純に品揃えがいいところではなかった。
ラフォーレ原宿なら、階段を上った先に何かある。
ミロードなら、裏道を歩いた先に何かある。
渋谷なら、文化の洪水の中から何かが飛び込んでくる。
池袋なら、生活用品を探している途中で「うお!」となる。
伊勢丹なら、少し背伸びした場所で知らなかったものを発見する。
ABABなら、たまたま残っていた限定ものを拾う。
そしてGINZA SIXでは、ゲランを見に行ったはずなのに、TASCHENの写真集を手に取っている。
たぶん私は、買うものを決めてから行く建物より、行ったら何かを見つけてしまう建物が好きなのだと思う。
買い物というより、探索。
商品を買うことより、その途中で何かに出会うこと。
そして、写真を見返してみると、娘が写っている写真が妙に多い。
伊勢丹も渋谷も池袋も娘。
建物の記憶に、そのとき一緒に歩いていた人の姿が残っている。
建物そのものはなくなったり、変わったりする。
でも、その場所で誰かと歩いた記憶は、写真の中に残っている。
東京の建物について私の記憶が2000年代初頭で止まっているのも、もしかすると、あの頃の建物には「何かを発見させる仕掛け」が、今より濃厚だったからなのかもしれない。
そして、そんな私が今の東京で「これはちょっと違う」と思ったのが、GINZA SIXだった。
買い物をする場所というより、まだ知らないものを実物で発見するための建物。
そういう場所なら、私は今でも、ちゃんと気分が上がる。
そして、まだまだある。
プランタン銀座。
かつて「新宿マイシティ」と呼ばれていた頃のルミネエスト新宿。
丸井。
そして、家族の思い出が詰まったビッグボックス。
考えてみれば、東京にはずいぶんたくさんの「買い物できる建物」があった。
だから、こうして思い出し始めると、まだまだ出てくる。
東京の地図を見れば、建物の名前と一緒に、買い物した記憶がいくつも浮かんでくる。









