住んでいた街|新宿区高田馬場1丁目
これまで住んだ街の中で、一番のお気に入り。
高田馬場1丁目。

東京メトロの駅からすぐで、JRと西武の高田馬場駅からも徒歩5分弱。
学生街であることが、そのまま住みやすさにつながっていた。
街の情報量は多い。
でも、気取ったところがない。
住んでいる人よりも、圧倒的に働いている人や通ってくる人のほうが多い街だった。
実際、私たちが住んでいたビルも、我が家以外は大家さんと会社。
その会社も、ヨーロッパの出版社だったりした。
学生も多いし、会社員も多い。
だから、街全体が誰かの「生活圏」であると同時に、誰かの「仕事場」でもある。


手頃な飲食店も多く、ラーメン屋は激戦区*注。
スーパーも案外、今日はどこにしよう、と選択肢がある。
駅前の芳林堂書店は品揃えがよかった。
コミックスのコーナーに飾られたサイン色紙を眺めるのも楽しみだった。
ここで、田中圭一先生のサインを見上げて
「手塚治虫先生だ〜」
と無邪気に喜ぶ娘がいた。
今では、娘本人が田中圭一先生の単行本を買って、当時のことを笑う。
BIGBOXにも馴染みのお店があって、娘の七五三の姿をお披露目に行ったりもした。
家族で、ちょっと顔を出して、ついでに何か買う。
野菜じゃないんだから(笑)。

当時は、娘と二人でよくお茶をしていた。
高田馬場には、気軽に入れる店がいろいろあったので、買い物の途中にちょっと休憩する。
そんなことも、よくしていた。
その後、娘は茶道をするようになった。

ディスクユニオンでは、試聴コーナーで娘が踊りだす。
彼女が初めてここで買ったのはアヴリル・ラヴィーン。
その次がUAだった。
映画館もあった。
朝は、スターバックスコーヒーのお兄さんに「おはようございます」と挨拶をして、サンクスで新作映画のポスターに見入り、マラバールでナンを焼く様子を眺め、体操着の入った巾着バッグをブンブン振り回しながら学校へ向かう。
駅からの人並みを逆流しているのに、特に気にも留めず、マイペース。
大人だったら5分もかからない道のりを、ゆったり楽しみながら通学する。
小学校は児童数がそう多くなかったので、縦割り班も活用されていた。
割とみんな、都会っ子のフラットさがあったように思う。
諏訪神社では、夏休みのラジオ体操が行われていた。

家からは、小学校の様子や放送も少し聞こえた。
放課後、学童ではない子も学校に残れる時間があって、娘もそこで「アイーダアイダ」に合わせて踊っていた。
早めに下校してきたある日、その曲が聞こえてくるや否や、
「あ!」
と、すっかり参加するのを忘れていたことを思い出したらしく、踊り始めた。
まだ一歳だった息子がいたので、運動会の日も、家と学校を気軽に往復しながら楽しんだ。
家まで進行が聞こえてくるから、次に何をするのかわかる。
そんな距離だった。

ちょっと歩けば、広大な戸山公園*注もある。
甘泉園公園もいい。
が、高田馬場1丁目にも、諏訪の森公園があった。
シーソー、ブランコ、鉄棒、グローブジャングルなどの遊具も一通り揃っていて、楽しかった。
本屋があって、音楽があって、食べるところがあって、遊ぶところもあり、スーパーがある。
学生街だから、若い人たちがたくさん歩いている。

その中を、娘は自分の速度で歩いていた。
振り返ってみると、高田馬場一丁目は、娘が輪郭を持ち始めた街だった。

















諏訪の森公園、自転車でよく行っていました!
切り株にきのこが生えているのを見て、初めて自生しているきのこを見た!と感動したことを思い出しました。
さっすが!
私は当時の理科の観察を読むのが楽しかったことを思い出したよ。
きのこ、自生してたの?
発見が多かったね。