松本大洋『Sunny』が呼び覚ます、忘れかけていた「時間」と「質感」
松本大洋の『Sunny』は、この数年で読んだ漫画の中で、間違いなくベストといえる作品です。

舞台は、家庭の事情で家族と離れて暮らす子どもたちが集まる施設。
それぞれに事情を抱えた子どもたちが、遊び、ぶつかり、傷つきながら、それでも少しずつ時間を重ねていく日常が描かれています。
タイトルにもなっている「サニー」は、庭に置かれた古い車。
子どもたちにとってそこは、過酷な現実から一瞬だけ逃げ込める、想像力の中の聖域のような場所でした。
冬野さほを感じる、うまく言葉にできない違和感や、ふとした悲しみ
作者は、私より少しだけ年上。 それゆえか、この作品に流れている空気には、なんとも言えない親しさがあります。
昔のテレビの形、デパートに並んでいたマネキン、子ども服の生地、そしてベストの編み込まれた独特の模様、文具。
それら一つひとつが「小道具」ではなく、確かに誰かの生活の中にあったものとして、圧倒的な解像度で描かれています。
作中に出てくるバービー人形も、とても印象的でした。
それが単なる人形ではなく、「宝物」であることが、ページから溢れ出すように伝わってきます。
『Sunny』を読んでいると、冬野さほさんが描く子どもの仕草や姿勢、食器やおもちゃ、生活の雰囲気——あの独特のエッセンスも、ギュッと詰まっているのも感じます。
松本大洋、冬野さほ、お二人はご夫婦です。

今回、久しぶりに冬野さほさんの『まよなか』を引っ張り出しました。
夢のような想像!
ふとした悲しみ。
そして小さな喜び。
感覚。
私の本棚で『ポケットの中の君』が行方不明だったり、一番のお気に入りのはずの『ツインクル』は誰かに貸したままだったり。
そんな少し欠けた状態も含めて、私と冬野さんの作品との付き合い方なのかもしれません。
書い直せばいいだけのことなのに、今更それに気づくほど。
『Sunny』で気になった登場人物
登場人物の中でも特に目が離せなかったのは、山下静(やましたせい)。

正確で真面目で、静かな少年。
朝の身支度ひとつとっても、彼の性格が自然と伝わってきます。
読んでいて、ふと、自分の息子を見ているような気持ちになりました。
『北の国から』と共鳴する、静かな呼吸
この作品には、適当に描かれたものがひとつもありません。
人も、背景も、小物も、すべてが丁寧にそこにあり、そこを流れてきた時間ごと描かれている。
画面はどこまでも静かなのに、確かに「生きて」いるのです。
ふと、ドラマ『北の国から』を観たときに心が動かされたのと、同じ部分が共鳴しているのを感じました。
派手なドラマがあるわけではない。
けれど、厳しさと温かさ、家族の不器用な愛。
同じ根っこがこの物語にも流れているように思いました。
そして、同じ時代に小さな私も存在していました。

『Sunny』の頃の私。 小学校入学直前。
赤い服が私で、手前が1歳下のいとこ。
低いシートの記憶と、窓の外の景色
私自身の幼い記憶。
我が家の車がトヨタから日産サニーに変わり、あの少し低めのシートに座るのが好きだったこと。
窓の外を流れていく景色のスピードを、今でもはっきりと覚えています。

そんな小さな頃、サニーに乗っていて悲しいことがあったとき、窓の外を見ているふりをして、こっそり泣いていたこともあった気がします。
『Sunny』を読んでいると、そんなふうに涙が止まらなくなりました。
特に、4巻・第21話「こいびとどうしって、ナニするん?」「おててつないで、チューするねん」のエピソードは、何度も読み返してしまいます。
静を、クラスメイトのくみちゃんが励ます姿。
互いを気遣うやりとり。
うれしいのに、悲しい。
小さな後ろ姿にグッときます。

忘れていた時間そのものに触れるような、かけがえのない体験でした。








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