
山下和美『ランド』を、ようやく最後まで読んだ
ずっと、手元に1巻だけがあった『ランド』。
いつかちゃんと読もうと思いながら、少し時間が過ぎてしまっていたのだけれど、このたびようやく全11巻を買い揃え、貪るように2周しました。
そして今、私はまだ、この作品についてうまく語ることができません。
あまりにも凄かった。
だからこれは、感想というより、読んでいて一緒に浮かび上がってきた記憶の話。

毎週、雑誌を買っていた頃
『ランド』は週刊誌「モーニング」で連載されていました。
私は毎週雑誌を買う生活を続けていたので、3巻くらいまではモーニングで読んでいます。
毎週載っている作品ではなく、読めるときは、毎回これどーなるのー!?と驚かされていました。
この新境地、好き…とも。
若く東京で働いていた頃。
月曜日の朝に駅のキオスクでビッグコミックスピリッツを買って、そのまま電車に持ち込むのが習慣でした。
紙の匂い。
インクで少し黒くなる指先。
混雑した車内でページをめくる時間。
モーニング、ヤングサンデー、アクション…。
熊本へ移ってからも、その習慣だけは変わりませんでした。
駅の売店がコンビニになったくらい。
3冊に絞られ、毎週買っていたのは、『モーニング』と『スピリッツ』、そして『文春』。
人生のフェーズが変わっても、月曜や木曜の境界線には、いつも雑誌がありました。
曜日のリズムを刻み続けていました。
熊本地震で、習慣が途切れた
けれど、2016年の熊本地震で、その流れが止まりました。
コンビニの棚。
いつも当たり前のように並んでいた“私の3冊”も、うまく入ってこなくなりました。
ずっと途切れずに続いていたものが、ある日突然、ぷつりと切れてしまったのです。
2週間ほど経って、棚に少しずつ雑誌が戻り始めました。
見慣れたロゴの表紙が並び、街も「通常運転」に戻ろうとしていました。
でも、そのとき私は、なぜか雑誌を手に取りませんでした。
あんなに長年、何があっても買い続けていたのに。
日常が、意図せずして非日常になるからか?
あるいは、「買わなくても生きていける」と気づいてしまったから?
それは身軽さではなく、少し寂しい感覚でした。
20年超えた習慣が、静かに終わりました。
『ランド』を読み終え、途中で止まっていた時間を拾い直した
それから私は、発売日を追わなくなりました。

あれから10年。
今、私の手元には『ランド』全11巻が並んでいます。
作中で描かれるのは、閉じられた世界と、その境界。
当たり前だと信じていた秩序が崩れたあと、人が何を恐れ、何を縋り、どう生き延びるのかという物語でした。
キャラクターすべてが魅力的で、グイグイ引き込まれました。
今になって、私はようやく、この物語を最後まで読みました。
10年前に途中で止まってしまった時間を、静かに拾い直したような。
しばらくは、まだ余韻の中にいよう。



