ピチカート・ファイヴの「サマータイム・サマータイム」を聴いていたら、ふとロンドン留学していたときのことを思い出しました。
私は老夫婦宅にホームステイしていました。
陽気で大柄でチャーミングなマーガレット。
穏やかなアーサー。
そして細身の黒い中型犬、サム。

マーガレットとアーサーによる美しいガーデニング。
室内にもいつも花が飾られ、明るい空気が流れていました。
この家では、メキシコやフランスなど、さまざまな国から来た留学生を常時5人ほど受け入れていたと思います。

当初の私は、ほとんど口を開きませんでした。
自分でも理由はよくわかりませんでしたが、今思えば、言葉も暮らし方も違う環境の中で、まずは観察することに集中していたのでしょう。
そんな私を、マーガレットはとても心配していました。
いつもリビングのテーブルへ招き、紅茶をいれて、「何でもいいから話してごらん」と言うように、根気よく話しかけてくれていました。
ある日、本当に何のきっかけもなく、私は堰を切ったように話し始めました。
まるで赤ん坊が初めて言葉を覚えるように。
しかも、人一倍おしゃべりになったのです。
それから老夫婦は私を、まるで実の娘のように可愛がってくれるようになりました。
スコットランド出身だった二人は、学校では習わないようなスコティッシュ訛りも教えてくれました。
付加疑問文の語尾に付ける「…eh, no?(エネ?)」という表現も、そのひとつです。
今では、ほとんど忘れてしまいましたが。

本来、留学生はコインランドリーを利用する決まりだったのですが、私だけは家の洗濯機を使わせてもらい、庭に洗濯物まで干させてもらいました。
その洗濯物の干し方が、とても印象的でした。
庭には高い柱があり、日本の物干し竿のようにロープが水平に張られています。
そのロープは滑車で上下できる仕組みになっていて、手元まで降ろして洗濯物を干し、引き上げると、洗濯物は2階ほどの高さで風に揺れます。
庭で過ごす人の邪魔にならず、風通しもいい。
とても合理的で、美しい光景でした。
アーサー担当だったサムの散歩にも、よく同行しました。
家の裏には公園があり、そこは小高い丘が広がっていました。
秋が深まったロンドンの景色は、今でも鮮明に思い出せます。

ある日、アーサーの運転で大きなスーパーへ2人で買い出しに出かけました。
10月の終わりです。
駐車場には、私たちの車しかありません。
「おかしい。」
店も開いていません。
どうしたんだろう、と顔を見合わせた次の瞬間。
「サマータイム!」
私たちは同時に気づきました。
その日は夏時間が終わる日。
時計を1時間戻す日だったのです。
私たちは、開店より1時間も早く到着してしまっていました。
日本との時差も、この日を境に8時間から9時間へ戻ります。
あの花でいっぱいの家。
マーガレットがいれてくれた紅茶。
アーサーと歩いた秋の公園。
高い空に揺れる洗濯物。

私の中では、「サマータイム」という言葉そのものが、ロンドンで過ごした日々の記憶になっています。
あれほど大切にしてもらったのに、私は後に「干渉されすぎている」と感じ、自分でフラットを借りて家を出ることになります。
その話は、また別の思い出として、いつか書いてみようと思います。






