秋冬春に着ていた服

最近、服についての考え方が変わってきました。

昔はもっとたくさん持っていたし、「着回し」も好きでした。

物を極限まで減らしたいわけでもなく、白い部屋で無印のケースだけに囲まれて暮らしたいわけでもありません。
好きな香水もあるし、昔の服も少し残しています。

ただ最近、「服の量」より気になるものがあります。

それが、“繊維が生きているかどうか”。

綿の表面が疲れていないか。
麻の張りが残っているか。
ニットがくたっとしすぎていないか。

服って、着続けているうちに単純に“ダメージ加工”みたいになるわけじゃありません。
生地が疲れるのです。

すると、着ている人まで疲れて見えます。

これは年齢を重ねて、すごく感じるようになりました。

高価な服でも、繊維がへたると急に生活感が出ます。
逆に、シンプルでも生地に元気があると、人までちゃんとして見えます。

最近、「シーズン2パターンくらいでいいのかもしれない」と思っているのは、そのせいです。

ただ、夏は別問題かも。
5月ですら30度を超え、11月くらいまで普通に暑い。
洗濯頻度も汗も湿気もあります。
夏だけは、流石に2パターン生活では回らない気もしています。

とびきり気に入った服を少しだけ。
そのかわり、ちゃんと“今の繊維”を着る。

冬が終わりそうな頃、気に入って着ていたコーデ

数を減らしたいというより、むしろ、「好き」を濃くしたいのです。

たくさん持っていると、どうしても「なんとなく着る服」が混ざってきます。

安かったから。
合わせやすそうだったから。
とりあえず。

今は、“気分が上がらない服”を着ること自体に、少し疲れてしまいました。

2パターンくらいなら、少し背伸びした服でも手が届きます。
「本当に好きな服」を選びやすいのです。

だから最近は、増やすというより、“更新する”感覚に近いです。

服の枚数ではなく、繊維の生命力。

そして、綿、麻、絹などの天然繊維が昔からとても好きでした。
でも、丁寧に手入れをしていても、天然の繊維は案外へたりやすいのです。

少しだけポリエステルなどの化学繊維が混ざっている方が、むしろ繊維に生命力が宿る。

そんなことを考える50代になりました。
雑誌『クロワッサン』と『装苑』の間を、生活疲れした猫背で歩いてる感じ(笑)。

来年には、また違う考えになっているかもしれないけれど。

靴の一部、なんだか、これは増えてしまう

不思議と、靴だけは増えてしまいます。

繊維のように“くたびれる”という感じが少なく、革は手入れをするほど応えてくれるところが好きなのかもしれません。
人類、革には妙なロマンを見出し続けてきたけど、あれ案外理にかなってると思います。
クリーム入れて磨くと、“終わり”じゃなく“馴染み”になるから。
気づくと、玄関まわりは少し賑やかです。