1992年パリの新聞、ニースの新聞、そして2026年の私

新聞の購読を再開しました
数ヶ月前から、なんだか新聞が気になるアイツになっていました。
今月から、近況でも書いたように、いわゆるオールドメディアと呼ばれる業界で働き始めました。
Facebookは2010年代の初め頃に、どうも肌に合わないなと思ってやめました。
Instagramも一度離れたあと、情報収集になるかもしれないと再登録したものの、結局あまり使わなくなりました。
mixiも通っているし、Yahoo!ニュースも見ます。
Xも開きます。
インターネットとは長い付き合いで、ECサイトを運営していた時代は一日中画面を見ていました。
今でもこうして、WordPressでひっそりと発信しています。
ネットを否定する理由はまったくありません。
恩恵だらけです。
それでも、以前書いた「Kindleで『蒼天航路』を持ち歩いた2012年、『BUTTER』を読んだ2025年」という記事にもある通り、画面の上で読んだ文字は、どこか上滑りしてしまうことがあります。
特にニュースはそうです。
アルゴリズムの内と外
ニュースサイトを開けば私が興味を持ちそうな記事が並べられています。
熊本の話題。猫。教育。
「いや、今は熊本市のニュースを読みたいわけじゃないんだけど」
と思うことも多々あります。
知らず知らずのうちに、自分向けに整えられた情報ばかり。
ふと思い出して古い新聞を引っ張り出しました。
1992年12月、パリ。
1993年3月、ニース。

旅したときに、記念として持ち帰ったLe Monde。
フランス語は今もほとんど読めません。
それでも面白い。
見出しを眺めるだけでも、広告も楽しい。
1993年のAppleの広告。

確かに、当時仲良かったフランスからスイスに移住した男の子はテクノロジーの研究をしていて、今のスタバラップトップの方々とは違うニュアンスで「Macさいこ〜」と言っていました。
Macでウィニーザプーのドット絵を作ってプリントしたものをくれました。
そして、なぜか1993年のニースの新聞より、1992年のパリの新聞の方がずっときれいな状態で残っています。
思い出も出てくるし、紙面の劣化も含めて面白いのです。
新聞はニュースであると同時に、その日の空気を閉じ込めたタイムカプセルのようでもあります。
人の考えは案外変わる、変わっていい
ずいぶん長いこと購読をやめていたような気がしていましたが、スクラップしたものを見てみると、読んでいなかったのは2〜3年ほどだったようです。
「英女王国葬 世界が別れ」の記事は2022年9月20日のものです。

母は続けたいと言っていたのに、「ネットで見られるからいいでしょ」と言って、購読をやめたのは私でした。
人の考えは案外変わります。
新聞を読んでいて面白いのは、自分では選ばなかった記事に出会うこと。
農業の話。
海外の話。
経済の話。
文化面の小さな記事。
普段ならわざわざ探しに行かないものが、同じ紙面の上に並んでいます。
アルゴリズムは便利です。
けれど、便利だからこそ見えなくなるものもあって。
私が読んでいる、読みたいものは、アルゴリズムの外側にあるものなのかもしれない。
興味があるから読むのではなく、たまたま目に入ったから読む。
そんな寄り道が案外面白いのです。

マリークワントはいつもオールカラーのカタログなんだけど、2000年はまるで新聞のような造りで発行されていて、これも新鮮で面白かったです。
転居をかなり繰り返しても、これだけ残っているということは、新聞が好きなんだね、私。










