
先日、このブログで「トップバーについての架空インタビュー」の記事を書きました。
架空のやり取りを文字に起こしているうちに、ふと、脳裏の奥で眠っていたカセットテープの「ガチャッ」という音が蘇ってきたのです。
もうそのカセットテープも、資料も何もありません。
けれど、その原点となった「愛機」は、今も我が家で静かに眠っていました。
放課後に作っていた、ラジオ番組のこと
話はさらにその1年前、高校1年生の時にさかのぼります。
ヤマハ主催の打ち込みコンテスト(九州大会)にて、審査員だった小室哲哉さんから「録音がいいですね」という言葉をいただきました。
「他に褒めようがなかったのでは?」と今の私は笑っちゃうけれど、大人の中にひょっこりいた、あの冬の小さな自信が、翌年のゲリラ活動へと繋がっていくのです。

女子高生テクノポップ・ユニット、放課後の要塞
高校2年生になり、私は最高の相方と出会います。
当時、芸術は選択制で、私は音楽、彼女は美術。
そんな2人が意気投合してユニットを組みました。
前年のガチガチのコンテストとは違って、2人の空気感はもっとリラクシーで、ざっくばらん。
だけど、やっていることは当時としてはかなりハイテクノロジーでマニアックでした。
今のようなパソコンもDTMソフトもない時代。
私たちは、たまたまお互いに同型を持っていた「MSX」というレトロパソコン(当時の8bitパソコン)に向かい、BASIC言語のコードを1文字ずつタイピングしてピコピコと音を鳴らしていました。
私がシンセのシーケンサーを動かせば、彼女はリズムマシーンを鳴らす。
収録スタジオは、我が家の離れ、私の部屋。
そこにあった「実家のカラオケ機材」が私たちの武器でした。
マイクのエコーを絶妙に効かせながら、チープで愛おしい電子音と私たちのざっくばらんなトークを、一発録りでカセットテープに吹き込んでいく。
そうして生まれたシングルの一曲が、今でも指がメロディを覚えている名曲、『吉野杉』です。
2人とも地理が好きだったから。
学校内ゲリラ・マーケティングと、おばあちゃんのミニスカート
美術担当の相方が描くジャケットはいつも最高にクールでした。
一目置いていた私は、デザインをすべて彼女に任せていました。
新作が完成すると、マッキーで書いた手描きのポップ(ポスター)を教室の後ろに堂々と掲示。
今でいうゲリラ・マーケティングです。
担任の先生から「校内での物販は禁止です!」と真面目に注意されてしまったのも良い思い出。
ちなみに当時の私は、制服のスカート丈が極端に短かい状態でした。
同居していた祖母が「自転車のチェーンに巻き込まれたら危ないからね」と、親心(婆心)でガッツリ裾上げしてくれたもの。
先生たちも、他の生徒のスカート丈には厳しかったけれど、私の場合はなぜか「ハニー君はなぁ……(笑)」と、苦笑いでスルーされていました。
完売御礼、うどん屋の打ち上げ
カセットを流通させるための「ダビング作業」は、結構、重労働でした。
「できあがったテープを差し上げますので!」とお手伝いをお願いして、ボランティアでダビングを協力してくれる同級生に、さながら校内家内工業のようなラインを組みました。
私たちは、この活動で利益を取るつもりは一切ありませんでした。
テープが完売したあと、その売上で相方と2人、近くのうどん屋さんに行って「お疲れ様!」と打ち上げをする。
せいぜいそれでプラマイゼロになるくらいの、ささやかで純粋な放課後のエンターテインメント。
卒業後、嬉しい報告が飛び込んできました。
運転免許を取ったばかりの同級生が、購入した私たちのテープをカーステレオで流したところ、同乗していた親族が「本当のラジオ番組だと勘違いした」というのです。
カーステから流れるカセット独特の音質と、私たちのこだわりのカラオケ録音が、奇跡のリアリティを生んだ瞬間です。
気がするだけ、の贅沢のその先で
この記事を書くにあたって、当時の思い出が詰まった重いハードケースを久しぶりに引っ張り出してきました。

ケースを開けると、そこにはあの頃のシンセサイザーが、当時と変わらない姿で収まっていました。
今、この鍵盤を叩いて、あの『吉野杉』のチープなピコピコ音を最新の環境で改めて編曲し直してみたい気もします。
……いや、やっぱりやってみたい「気がするだけ」で止めておこうと思います。



