一緒に「エァッポゥ!」と言っていた消息不明の秀才について
中学校への入学は、大人への階段を昇るような気がした。
中1と中3は、全然違う人種にも思えた。
それでも割とのびのびと過ごし、好き勝手やっていた。
部活に入ったものの、早々にサボりまくり、今でも仲良くしている友人と自転車であてもなくブラブラしたり。
あの頃は、財布を持たずに楽しむ術があった。
ぜひ今の私にご教授願いたい。
英語の時間、どうしても解せないことがあった。
appleのæの発音だ。
たまたま窓際の席で前後だったMくんと私のみ、æとはっきり発声していた。
他のクラスメイトはモゴモゴとアッポ…という。
我らは、エァッポゥ!
ポゥ!って、マイケルか。
「使えない言葉を声に出しても意味なくない?」
「バカばい」など、言いたい放題。
Mくんは秀才だし、私も学業成績はMくんほどではないにしろ、よい。
そもそも、単語だけ発音させて、どうしろって?
文章にしてくれ。
Mくんとは、その後も長く付き合うことになる。
彼は熱い男。
エァッポゥと言っている頃、シルベスタ・スタローンの「ロッキー4」が公開中。
サントラを毎日繰り返し聴いているとのことだった。
テーマソングなら知ってる、いいね、いいね。
カセットテープを渡し、テーマソングだけA面B面、全て埋めるようにダビングを頼んだ。
結構面倒な作業だなと今更思う。
ありがとう、Mくん。
高校は別だったが、中学卒業後久々に会ったのは、電気グルーヴのトークライブ会場だった。
熊本のレコード店ビルの上にあるライブハウスにて。
やっぱり、こういう人だったかと嬉しく思ったが、多分、一緒にいた私の友人女子らとは空気感も違うので、そっけなくしてしまった気がする。
ごめん、Mくん。
でも、今はふんどしに凝ってるとかちょっとした近況が聞けて、文化的には充実してるが成績はかなりやばいんだろーなーということを察した。
だって、私がそうだったからw
それから色々あり、我々2人は通常の進路スピードとは外れた、ゆったりとした時間感覚でたまたま同じ大学に同じ年に入学。
日本武道館で行われる入学式後に、落ち合って、昼ごはんでも食べようという約束をした。
新宿地下街(サブナード)でカツカレーを食べた。
ここでもまた、私はロンドンで買ったヴィヴィアン・ウエストウッドのワンピースを着ているのに、Mくんは、ありがちなスーツ姿である。
ふんどし一丁で行かんかい、と内心思いつつ、ハイテンションの彼から少し引き気味でカツを齧った。
あのとき少しぎこちなかったのは、そういうことです。はい。
失礼しました、Mくん。
そして、また、大学もぼんやり過ごしている我々だったようで。
当時はまだ携帯電話が普及し始めたくらい。
LINEもない。
幼馴染のラガーマンが横浜から毎日我が家に通ってはMOTHER2をしていた。
横から、あーそこからがまたやべーのよね、なんて思いながら、きっと表情をコロコロ変えつつ、紅茶を入れたり、お菓子を焼いて出したり。
大好きなMOTHER2をできる限り快適な環境でプレイして欲しかった、その時間。
Mくんから連絡「しばらく、匿って欲しい」と。
は?
もちろん、ラガーマンも同じ中学校なので、Mくんは重々知っている。
「匿って欲しいって、Kちゃん(男子からのMくんの呼び名)何事?考えすぎだろ」
みたいな風に2人で話していたら、やってきた。
私は、Mくんが面白い人なので、理由はなんであれ一緒に過ごすことはウェルカムだった。
本当に追われているのか何なのかはわからないけれど、とりあえず、豚バラを塩胡椒で焼いたりしてみんなで食べた。
落ち着いて、我が家を出ることになったMくんが「ご無礼します」と挨拶したのをラガーマンは聞き逃さない。
「Kちゃんは、礼儀正しいもんね、ずっと。普通、ご無礼しますなんて挨拶しないよ」
全員学生だった。
今度は、私が就職してから、また交流が再開する。
高円寺をベースにしていたMくんと仕事帰りの私は朝まで飲むのだった。
いかにもMくんらしいチョイスのお店は、新鮮で面白かった。
その頃から、なぜか彼は私を「師匠」と呼ぶようになる。
よくわからないけれど、気分いいからOK。
みっともなく酔っ払うのも、我々には許されていた。
そういえば、Mくんは自分の体臭に異様なほど気を遣う人だった。
突然「今日会おう」と誘うと、「30分待ってくれんね?」と言う。
何事かと思えば、コインシャワーに行くのだ。
いや、別に臭くないし、そのままでいいって。
そう言っても決して譲らなかった。
そして、いつの日からか「師匠に会わせたい人がおるけん!」と言い出した。
「絵描きだけん。ウルトラセブンがすごかつよ(すごいんだよ)」
我々は飲むときは、無邪気な時代を過ごした熊本の言葉で話していた。
自由度を高めたかったのか?
私はウルトラセブンそのものにそそられないし、会わせたいと言われても気乗りしなかった。
が、会うこととなる。
そして、最初は、何?この人?とMくんにウルトラセブンの人のクレームまでつけた。
「こうこう、こういうところが嫌だし、無理」
「伝えたら、反省さしたけん(反省なさったので)」
私とこの2人は誕生日が近く、誕生会も高円寺の喫茶店でささやかに催した。
そうしているうちに、Mくんは就職で大阪へ。
遊びながら、就活ちゃんとしてたんだね、偉い。
さらに、この後、ウルトラセブンの人と私は結婚するのだった。
ただ、Mくんの消息は、2002年の年賀状を最後くらいでわからなくなってしまった。
年賀状は、当時の小さな娘も含めた3人宛。
フィデル・カストロとアントニオ猪木の切り抜きをセロハンテープで貼ってあって、とてもいい。

元夫も、Mくんとまた交流したがっていた。
それに彼が連絡できる状態であれば、私もまた離婚前に「こうこう、こういうところが嫌だし、無理」と相談することもできただろう。









